井ノ口忠男とは...

追手門学院高等学校の出身。追手門学院高等学校はアメフトの強豪校であり、卒業生には数多くの甲子園ボウル出場選手がいる。1976年に卒業した井ノ口忠男は1978 年の3年時に最優秀守備選手受賞した。

78年の甲子園ボウル 賞受賞者
ミルズ杯(年間最優秀選手賞) 金井義明 日本大学 クォーターバック
甲子園ボウル最優秀選手賞 金井義明 日本大学 クォーターバック
最優秀攻撃ラインマン賞 都井伸治 日本大学 オフェンスライン
最優秀守備ラインマン賞 仁科明弘 日本大学 ディフェンスライン
最優秀守備選手賞 井ノ口忠男 日本大学 ラインバッカー
甲子園ボウル敢闘賞 越中啓至 関西学院大学 ランニングバック
井ノ口忠男は翌年のチェンピオンシップ経験者でもあり、子息である井ノ口悠剛も日大アメフト部のコーチの一人として在籍している。

<甲子園ボウル>
全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦のことである。毎年12月の第3日曜日に、兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場で行われ、主催は日本アメリカンフットボール協会と毎日新聞社、特別協賛は2008年度からパナソニックグループが務めている。現在の正式名称は「パナソニック杯毎日甲子園ボウル」である。
2008年度(平成20年度)までは「東西大学王座決定戦」として、関東学生リーグと関西学生リーグの王者同士が対戦する形で大学王座を争った。2009年のシーズンから、全国8連盟による全日本大学選手権の開始と共に、その決勝戦としての舞台に移行した。

前回大会(第66回)
関学(コーチ:神田有基) 対 日大(コーチ:井ノ口忠男)
両校の対戦は26度目。通算:日本大16勝・関西学院大8勝・両校優勝2回。
結果:24対3
関西学院大:4年ぶり46回目の出場。
4年ぶり20回目の単独優勝(両校優勝を含めれば24回目)。
日本大:4年ぶり31回目の出場。





高校時代と大学時代

井ノ口忠男氏は、高校時代と大学時代にアメリカンフットボール部に所属。
高校はアメリカンフットボールの強豪として知られている追手門学院高等学校。
そして大学は皆さんご存知の通り、日本大学を卒業している。
そんな井ノ口忠男氏は、大学時代にも大きな実績を残した。

井ノ口忠男氏が所属していた日本大学アメリカンフットボール部も出場したライスボウルやあずまボウル、日大のアメフト部出身者も受賞経験を持つミルズ杯についても触れたいと思う。


日本一を決定するライスボウル

ライスボウルは、アメリカンフットボールの日本一を決める試合である。
正式な名前は、アメリカンフットボール日本選手権 第〇〇回ライスボウルとなっている。
これまでにライスボウルで最も多く優勝したのは、千葉県習志野市を拠点として活動しているオービックシーガルズ。

戦争後、日本のアメリカンフットボールはとてつもない勢いで復活を遂げた。
そんな中、東西の大学で王座を決める甲子園ボウルが誕生する。
かつて行われていたオールスター戦の復活を願って生まれたのが甲子園ボウル。
それをきっかけに、アメリカンフットボールの試合は甲子園ボウル以外にも行われるようになっていった。
その中の1つが、ライスボウル。
なぜアメリカンフットボールの日本一を決める試合がライスボウルになったのかというと、アメリカの新聞に掲載された記事がヒントになっている。
戦争の前にアメリカの新聞で「日本人はライスを主食にしている。だから、ボウルゲームをライスボウルと呼ぶのではないか」と報道していた。
単純な考え方ではあるが、その報道が今に続いていることに驚く人もいるだろう。
井ノ口忠男氏が在籍していた日本大学アメリカンフットボール部は、ライスボウルで4回優勝している。


井ノ口忠男氏も出場経験を持つ甲子園ボウル

井ノ口忠男氏は、追手門学院高等学校を卒業後、甲子園ボウルに出場している。
1978年の第33回甲子園ボウルでは、最優秀守備選手を受賞していることから、かなり実力のある選手だったと言える。
井ノ口忠男氏も出場経験がある甲子園ボウルは、パナソニック杯毎日甲子園ボウルが正式名称。
日本アメリカンフットボール供養会と毎日新聞社が主催で、2008年からはパナソニックグループが特別協賛となっている。
そのため、パナソニック杯毎日甲子園ボウルという名前になっている。
甲子園ボウルに出場した選手の中で年間最優秀選手に選ばれた人には、ミルズ杯が送られる。

日本におけるアメリカンフットボールは、立教大学に勤めていたポール・ラッシュ博士が組織化したことが始まりと言われている。
戦前には、立教大学、明治大学、早稲田大学、慶応大学、法政大学、日本大学にアメリカンフットボール部が創部され、関西では関西大学、関西学院大学、同支社大学でアメリカンフットボール部が創部された。
しかし、第2次世界大戦で中断されてしまう。
それでも、大学連盟の活動によって、戦後は復活を果たしている。
これは、多くの人のやる気やアメリカンフットボールへの熱い思いがあったからこそ、成し遂げられた復活だと言えるのではないだろうか?


ミルズ杯とはいったい何なのか?

甲子園ボウルに出場した選手の中で選ばれた人に贈られるミルズ杯だが、
アメリカンフットボールに詳しくない人は、どのようなものか分からないという人も多いだろう。
そのため、最後にミルズ杯についてご紹介していく。

ミルズ杯の正式名称は、チャック・ミルズ杯。
チャック・ミルズ杯は、アメリカのアメリカンフットボールコーチ協会の委員会メンバーを務めた人物で、
カレッジフットボール協会の初代書記長でもある。

NFLカンサスシティー・チーフスのアシスタントコーチを務めていた頃に、第1回スーパーボウルへの出場も果たしている。
それ以来、カレッジフットボールのヘッドコーチを務め、リーグ最優秀コーチには4回も選ばれている。
また、彼が始動したチームは全米ランキング入りを果たしているため、かなりの実力者だということが分かる。
彼は日本のアメリカンフットボール協会にも大きな影響を与えている。
1969年にアジア地区に駐留している米軍フットボール指導のための来日がきっかけだった。
そんなチャック・ミルズ氏を讃えてつくられたのがミルズ杯。
ミルズ杯を受賞することを目標にアメリカンフットボールに励んでいる人も少なくない。

井ノ口忠男氏は、高校生から大学生までアメリカンフットボール部に所属し、大きな実績を残してきた。
追手門学院高等学校を卒業後は、甲子園ボウルにも出場している。
アメリカンフットボールについて詳しくない人は、
それがどれほどすごいことなのかいまいち分からないかもしれないが、今回の記事で理解できたのではないだろうか?
もしも、アメリカンフットボールに興味を持ち始めたのであれば、色々と情報収集をしてみると良い。

  • 最終更新:2020-04-08 12:53:55

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